まずは「ゆっくり、いそげ」からの引用です。
ドイツのファンタジー作家、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』
物語の舞台は「ファンタージェン」-荒唐無稽な生き物たちが活躍する、夢あふれる夢あふれる想像の国。
だがある日から、この国も目に見えない強大な力による浸食にさらされるようになる。その力の名前は-「虚無」。(引用終わり)
「ファンタジー」の対極が「虚無」(何もない)とは面白い。
このあとに書かれている内容は、私が会社員だった頃に感じたこととよく似ており共感が持てました。
(引用開始)現代社会ではシステム化が徹底すると、人は考えなくなる。システムの要請に沿って決められたように振る舞うことしかしなくなる。
営業成績を高めるとポイントがつき、そのポイントで給料が上がるのだとしたら、営業成績を高めることに邁進すればいい。
「なぜ、営業成績を高めなければいけないのか」とか「そもそも営業成績ってなんなのか」などということは求められていないし、・・・(引用終わり)
こんな感覚で仕事をしている人は、今の日本に多いのではと私は感じます。
そして、もしいろいろ考え始めると、面白くなくなったり虚しく思えたリする方も多いのではないでしょうか。
だからあえて考えないようにしている人もきっと多いことでしょう。(意識的、無意識にかかわらず。)
筆者影山知明さんは、この節の最後を次のように結んでいます。
(引用開始)結局エンデは、客観性であり「意味の世界」「言葉の世界」から自身を解き放てと言いたかったのではあるまいか。
その意味は分からず、その理由は説明できなかったとしても、心の向かう方向へとしたがうこと。
世界を想像し、創造すること。
そしてそれを一番上手にできるのはこどもたちだ。
現代のおとなたちが「虚無」に支配されるのか、それとも「ファンタジー」を育めるのか-
その命運を握るのもまた、おとなたちの中に眠るこどもたちではないのかと思う。(引用終わり)
ガンプラカフェ&バーは、日々を「虚無」の空間で生きる大人たちに、「ファンタジー」の世界で想像を育むひとときを提供できる可能性が十分あるように思います。